読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ

遺書

妻が私に言った。「〇〇さんの旦那さん、内緒でブログやってたらしいよ!別にブログでもTwitterでもやれば良いけど言ってくれたら良いのにね!って話してたの」私は、ふ〜んとその話を聞いていた。妻はこのブログを知らない。〇〇さんの旦那さんと同じである。その時私は何故妻にブログの事を言わないんだろうなぁと漠然と考えた。別に女性ブロガーの尻を追っかけ回している訳では無いし、下ネタ連発してゲへゲへ言いながらストレス発散しているわけでもない。ただ常々思っている事をメモのように書いているだけである。

一つだけ思う事があるのは「妻が見ている」と仮定するとこのブログの文章と内容が多少変わるんじゃないか。Facebookと同じように。知っている人間が読むとなると多分その仮面を私は被る。それが嫌だから私はFacebookをやらない。仮面を付けた文章など面白いのか。いや、違う。自分の言える部分だけをネットで知人に公開して何が面白いのか。匿名であるが故の、普段では公開しない部分を、匿名というゴミ袋を被って少しだけ出す。ここに来てくれる人達はそれを面白がって読んでくれているのだと思う。

ここでの思考は妻にはあまり見せない部分。仕事に対する考え方を書くことが多いので、実生活ではやはり妻にはこんな話はしないしこういう考え方をしている事を妻は知らない。だから私が死んでから読んで欲しいなぁなんて思うね。私は妻より10歳も年が上だ。どうやったって私が先に死ぬ。いや私が先に死なねばならぬ。だから私が死んだ時に妻が退屈しないように沢山更新しよう。くだらない冗談も愚痴も皆に賛同されないような仕事での考え方もここで書いている事に嘘はない。

見つけられなければそれはそれ。だから私はこれからも妻には言わずにこのブログを続けていくのだ。醜いデブでも、ハゲ散らかしても、豚足でも、ちゃんと悲しんで貰えるように私は精進していくつもりである。

 

死ぬ前にペイチャンネルの記事だけ消そう。うんそうしよう。

 

 

どこでも当たり前みたいな顔してやがるポイントカードがストレス

そんなに得するイメージが無いポイントカード。行く店行く店で「ポイントカードは宜しかったでしょうか?」と聞かれ「宜しいです」と答える。もはや「宜しかった」論調はどうでもいい。仕事だから聞かなきゃいけないのも分かるし私が知らないだけで本当に得するのかもしれないが、しかし、しかしである。

 

多すぎる

ローソンを始めとするコンビニ、電気屋、ブティック、ご飯屋さん、スーパー、インテリアショップ、雑貨屋、財布パンパンなるわ、探すのに時間かかってしゃあないわ、有効期限てそんなもん気にしてるわけないやろ、お?溜まってるやんと思ったら300円とかマジfuck、貯まったポイントは次回しか使えませんて何?、などなどである。

 

断るのがストレス

「すぐ作れますから」「こんなにお得」「つか作らないと損するぞ貴様」そういう説明を聞くのもストレスだしそれを遮って断るのもストレス。好きな人は作れば良いし否定はしないが必要ない人間には全く必要ない。私も出来ることなら断りたくない。ニッコリと受け入れてあげたいのはやまやまだが上記理由でそうはいかないのだ。すまん。

 

とは言いつつも一つだけすげえなこれと思うポイントカードがある

餃子の王将である。内容は覚えてないがすげえなそれと思った事がある。各自で勝手にググってくれ。私が認めるポイントカードはあれだけだ。期間限定だから餃子を食いまくれ。

 

ポイントカードで客が来るという神話

んなもんあるわけねえだろ。やるならもっと客に還元しろ。ショボいポイントカードなど煩わしいだけだからこの世から無くなってしまえ。

 

よし、今日は餃子食おう。

 

 

プロフィール画像もろもろ変更しました

特に意味はありません。このブログを始めた当初は更新毎にブログの題名とアカウント名を変えるというSEOなど全く無視したアクロバティックな事をやっておりました。今回は少し何かの異臭がしたので変更に至りました。プロフ画像が変わったからといって内容は全くもって変わりませんので悪しからず。

このプロフ画像は小学生低学年の時に漫画家を目指す友人とともに書いていた「ワベ」というキャラクターです。当たり前ですが私は全く持って漫画家など目指していません。「漫画家を目指す友人が隣にいた」ただそれだけです。今考えてみると私はその時から何一つ変わっていないのかもしれません。

決して流されているわけではなく、面白そうだからやってみよう、ただそれだけです。当時はその友人と何か不穏な空気を感じ取って描くのを辞めたと記憶しています。不穏な空気。小学生低学年でも我々は何かを感じながら生きていたのでしょう。プロフ画像を変えようと思ったその時にこの顔が浮かんだのでそれを使いました。

 

友人がこの「ワベ」に商標登録をしていない事を願って。

 

追:この変更に伴ってTwitterのアカウントも削除しました。先ほど新しいアカウントを作っている途中で凍結。何か悪い事したかな?

 

 

f:id:kopelani:20170328000122p:plain

悪口を言われても気にしないワケ

強がっているわけではありません。誰かが私の悪口を言って回っているとして、多分その人とは反りが合わないか私の事が気に入らないのでしょう。現実社会でよくある話です。それで私が大切に思っている人達が離れていくかもしれない。私はそういう時「しょうがねえな」と思うようにしています。理由は、私より「悪口を言っているその人を信じている」から。自身がその大切な人達と信頼関係が成り立っていなかったのだと諦めますよ。自分を信じてくれている人達は、そんな悪口を聞いてもちゃんと「そんな事はない」と言ってくれると思います。もしくは連絡をくれて理由を聞いてくれる。理由も聞かずに離れていく人は向こうも私を信用していないし私も真摯に向き合おうとしていなかったと。だからずっと残ってくれている方達には嘘をつかず真剣にお付き合いをさせて頂いております。

 

「信用第一」

 

この言葉はやはり重いのですよ。

 

おわり

 

 

もしかしたら「カッコ良いもの」は我々クソジジィが知らない場所に沢山移動しているのでは

最近カッコ良い音楽って無いよなーなんて思いながら昔の音楽ばかり聴いている。私が若い頃というのはカッコ良い音楽は勝手に耳に入ってきた。それはテレビでありラジオであり誰かの車の中でありお店の有線だった。しかし今は全くそんなカッコ良いものは耳に入ってこない。カッコ良いもの。そんなものは人それぞれであって私がカッコ良いと思っても私以外の人がそう感じるかどうかは分からない。それでも昔は耳に入ってきた。「お!!!」と思う音楽が。今、巷で耳に入ってくる音楽は、何十回と聴いても覚えられないものばかりだ。初老のせいもあるかもな。

 

しかし少し前、YouTubeを流し見していたらこの動画が目に入った。

www.youtube.com

脳漿炸裂ガールだそうだ。見てみると鳥肌が立つほどカッコ良いなと思った。なんだコイツ等は。Google先生に聞いてみるとボーカロイドで作られた楽曲のカバーだそうだ。ボーカロイド?知らん。初音ミク?分からん。しかしこのバンドは原曲がどうのとか関係なしで一度聴いて素直にカッコ良いと思った。若そうなのに上手いし。そしてこのバンドを辿っていくとカッコ良い若い奴らで溢れていた。おぉぉぉ...。

 

カッコ良い奴らの活動する場所が移動している...

 

詳しくは知らない。もう私もオッサンなんだろう。時代についていけてない(笑) 多分プロデビューやテレビやラジオじゃないんだろう。考えてみたら私が若い頃に見てブッ飛んだカッコ良い人たちというのは本当にブッ飛んでいた。頭がオカしいレベルで。聖飢魔ⅡやらX JAPANTHE BLUE HEARTS電気グルーヴやらユニコーンやら。初見で「何じゃコイツら...」と思うような人たちばかりだった。そして私は年を取り「うおおお!!!すげえなコイツら!!!」と思うようなアーティストを見なくなった。いつも買っていたCDを買わなくなったのだ。

 

しかし私がただ単に疎いだけの話であってカッコ良い奴らは多分場所を変えてどこかに沢山いるんだ、と考えると少し楽しくなった。もっとキチ〇イじみたカッコ良い奴らの音楽が聴きたい。ロックなんてものは頭のおかしい奴らの音楽がカッコ良いんだ。非常識で暴力的で怒りとか悲しみとか全てをひっくるめたその人の中の狂気であり刹那的な生き方が音楽に表われる。そしてそういう人達の音楽を聴けば頭をバットでフルスイングされるような感覚があるよね。

 

バンドをする動機やスタンスなんて別にどうだって良いんだ。そういう頭のおかしな、ロックな人間が一たび音を出した時、私はその衝撃で頭の中が空になり、そして次の瞬間その音で頭の中がいっぱいになる。

 

何も知らずにどんどん老いていくことを考えれば、YouTubeって良いなぁと思った瞬間でした。

 

おわり

 

 

広告を貼るのか貼らないのか

広告を貼るか否かついてチラホラ記事を目にするので書いてみる。私は広告を貼っている。そもそもブログを書くにあたり、はてなを選んだのは「広告が貼れるから」という理由に他ならない。インターネッツに詳しくない私にとって地獄だった。Google先生にやり方を聞きながら、アドセンスの申請やら貼る位置やら広告の種類やらを見て貼り付けた。最後らへんはもうめんどくさいボルテージがMAXであったため、ちゃんと貼れてるのかどうかすら分からない。まぁ、アドセンスのお金が反映されているから貼れてるんだろう。今となってはどうでもいい。では何故私は広告を貼り付けてブログを書こうと思ったのか。

 

私の文章は一体いくらなのか

理由はこれだけである。何でもやってみないと気がすまない私はこれが知りたいが為に広告ありきのブログを始めた。月に何10万と稼ぐブロガーがそこら中にいる中、どういう仕組みでどうやったらそんな事が出来るのかな?という疑問を自分でやってみようと思ったのだ。アフィリエイトに関しては今だによく分からん。というか多分興味が無いのだと思う。あればもっと勉強して色々やっているだろう。悲しいかなインターネッツの技術は私の頭の中に全く素直にインストールされない。

 

何故そんなに広告が毛嫌いされているのか

これがよく分からない。例えば私のブログの広告を誰かが踏んで「その誰かの口座の金が減る」とかだったらダメだと思うけど、んな事無いでしょ。一旦どっかのサイトに飛ぶだけでしょ?それもGoogle先生が認めてる広告のサイトに。じゃあ別に良いじゃんそれぐらいと思ってしまうのですよ私は。インターネッツ詳しい人からすると何も分かってないんでしょうけども。何でそんなに広告を嫌うのかが私にはサッパリ分からない。まぁ別に良いんだけど。

 

では私の記事は一体いくらなのか

大体1記事50〜100円。そんなもんです。これが私の文章の価格。もうこれが分かったから別に広告外しても良いんだけど、外し方もまたやり方分からないし超めんどくさいからそのままにしてます。広告を貼るのか貼らないのか。私は貼れば良いんじゃない?と思いますけどね。逆にダメな理由が浮かばない。詐欺とかそんなんじゃないでしょうに。何でそんなに嫌われてるのかが本当に分からん。

 

現場からは以上です。

 

 

ブログやTwitterなんてものは普段の思考の確認作業

タイトルで完結しているがインターネッツでの発言なんてものは私の普段考えている事の確認作業。思ってもない事など書かない。そして思っている事はまだまだある。ここで書いている事なんて多分全体の1割にも満たない。あとの9割は「これ書くと多分炎上するだろうな」「傷つく人がいるだろうな」「わざわざ書く必要あるのかな」「変態がバレるな」である。逆に書いている事というのは「自分がした経験」であり「人から聞いて役立っていること」であり「誰かの思想の反論」であり「見え隠れする変態」となる。

その私が書かない9割の思考、この部分を切り崩して公開するか否かで私のこのはてなでの匿名の人格を「自分で」守っていることになる。いわゆる理性。この理性の中で読んでくれている人達にどれだけの満足度を与える事が出来るか。9割の中に誰しもが存在する狂った部分。読む人によっては面白がる部分であり興味を引くんだろうけどやはりそれは使いたくないし使うべきでないと思う。といって聖人君子のような話や偉人の言葉をそのまま書くつもりは無い。せっかく私の周りには私が思うすごい人達が沢山いて沢山の助言をしてくれている。その助言を聞いて私がどう思ったか、どう変わったかを頭が悪いなりに気が向けば書いているつもりだ。

インターネッツでの発言は、頭の中が「透けて見えている」のか、「透けて見せているのか」でそのアカウントや人格の見え方が全く異なる。カッコつける気は毛頭ない。私は最近多い「ただ単に狂っている奴」ではなく、何か変わったことを言ってるけど読んで少し楽になったな、ちょっとこれやってみようかな、などと思って頂けると幸いである。私が一緒にインターネッツを楽しみたいのは「理性を必死に守っているバカ」である。こんな空想世界で自分を切り売りしてボロボロにるのは御免だし必要以上に傷つくのはバカバカしい。この理性の範囲内で目立てる人が本当に才能のあるブロガーなんだと私は思う。

 

最後に

文中の「毛頭ない」を「毛根ない」に空目した貴様らはそこに並べ。理性が飛ぶぐらいのビンタをしてやる。