ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ。口癖は「えー、そんなの別にどっちでも良いんじゃないの?」老害発言の説明文多し。

そこはかとなくかほる宗教臭

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明確な理想を掲げてさぁ今の貴様はどうだどんな状況なんだそうかそうかそうだろうそうだろうだが案ずるな庶民どもよここにこんな素晴らしい世界があるのだ見てみろここにいる人間は皆幸せなのだ何故だか分かるか分からないだろうでは少しだけ体験してみるがよいそこで感じる「楽」とは何なのか自分に問えばよいあの理想に向かうにあたって私の教えを守り精進すれば理想とはそんなに遠いものではないし難しいことでもないが例え貴様が理想に程遠いところで挫折したとしてもそれは私の責任ではなく貴様の煩悩そして与えられた試練に向かい合っていないからである本当の理想は貴様の中にあるのださぁ開け開くのだそのチャクラを開くはずのチャクラが閉じているその理由は無意識に持つ貴様の「安定」という煩悩である今すぐその煩悩を捨てろ自由という理想は貴様のその「安定」の中には無いさぁこっちへ来るのだ何を躊躇う必要がある「安定」こそが貴様を苦しめている元凶だ例え「安定」を手放したとしても我々には「自由」があるじゃないか貴様がしがみついている「安定」に「自由」はあるのか無いだろう「安定」という「不安」に押しつぶされる日々はもう終わりだ全てを捨てる覚悟がある者のみが手にすることの出来る「理想」と「自由」はすぐそこにあるさぁ私の書いたこの書を読めそして貴様のその心が解放されたその時「金」をも動かす力を手にすることが出来るのだ心配することは無い「失敗」は「絶望」ではなく「未来」なのだ屈強な「未来」を組成するのが「失敗」なのだ恐れるなもう一回言うけど失敗してもそれは私の責任では無いぞそれちゃんと覚えとけよ貴様「の」努力が足りないだけだ成功したら俺のもの失敗したらお前のもの良いなちゃんと覚えとけよ失敗しただと知るかそんなもんお前がバカなんだろはいブロックブロックあれ何かアイツ良い感じじゃね?ちょっとコラボしようずwwwお前読者何人?え?良いじゃん良いじゃんいやー最近アンチ湧いちゃってまいっちんぐwww嫉妬乙www知らねーっつのwwwえ?さっきの話?そうそうパイセンから聞いてやってんのよwwwンゴゴゴゴゴwww

 

みたいなブログ読むのが私の趣味です。

 

 

私が奥さんの前でオナラをしない理由

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一般的にはどうだろうか。奥さんとは出会ってもう13年になろうとしている。よく聞くのは「家族だから」であったり「お互い気を使わない関係」であったり。私はしない。寝てる時は知らない。起きてる時のオナラを聞かれたことが無いし、私も奥さんのオナラを聞いたことが無い。恥ずかしいとかそんな事ではない。当たり前だけど便はするわけだしそれを恥ずかしい行為だという認識はお互いに無い。「あー!お腹痛い!」と言いながらトイレに駆け込むのは共通である。しかしながら目の前でオナラは絶対にしない。奥さんの前で鼻毛を切らない。鼻くそをほじらない。私は奥さんの腋毛を見た事がない。奥さんは私の目の前で着替えない。私とチビはお尻にパンツを挟んでTバックみたいにして二人で奥さんの前を横切る。チビがオナラをすると夫婦でスハスハとチビのオナラを可愛い可愛い臭い臭いと嗅いでいる。そもそも私は知人や友人の前でもオナラをしないということもあるが、奥さんの前では絶対にしない理由として、そこを超えてしまうと男女の境界線が消えてしまうのではないかということを恐れている。そんなもの休まらないではないかと思われるかもしれないが、しないのが当たり前であればしなくてもちゃんと休まるし、したければトイレに行けば良い。奥さんは我慢をしていないのかと聞いたところ、奥さんも実家では家族の前でしない家だったそうで窮屈ではないと聞いてホッとした。要は「見せなくて良い部分は見せる必要が無い」と思っている。オナラするのが当たり前になってしまうと、オナラを皮切りにどんどん、止まることなくダラけた生活をしてしまうかもしれないと懸念する。親しき中にも礼儀ありではないが、どこか一線を越えないように、ちゃんとその線をお互い見ながら生活しよう、そのボーダーラインがオナラなのである。しかしながら我々夫婦は完全無欠に生活しているわけではもちろんない。自身で認める年の差のある変な夫婦なので、一般的に理解を超えた行動がある。ドン引きされるのでここでは控える。家族なんだから全てをオープンにするのではなく無理をしないように隠す部分はちゃんと隠し、一緒に生活しながら少しずつバレていけば良い。私の方が奥さんよりかなり歳上なので当然のように私が先に死ぬ。オナラは最後だ。息を引き取る寸前に盛大なオナラをカマして二人で爆笑しながら私は死にたい。

 

 

B'z のジャンルが何なのか私の中で未だにはっきりしない

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先に断っておくがこれは私のイメージに過ぎない。そしてカッコ良いんだからジャンルなんて関係ないだろという意見も分かっているつもりだ。私もB'zは大好きだしカッコ良いと思う。イチブトゼンブのギターリフを初めて聴いた時すごく意外で、松本さんはこんなカッコ良いリフ弾くんだなぁと思った。そして稲葉さんの歌もやはり凄い。生で聴いたらビリビリ来るんだろうなぁと思う。しかしながらじゃぁ音源を買うのかと言われれば買ったことが無い。私もギターを弾くのでB'zの曲をコピった事があるのかと言われれば、無い。唯一「イチブトゼンブ」のギターリフを耳コピして弾いたかな?程度である。ちゃんと私も「B'zはカッコ良い」と認識しているのに何でなんだろうと考えた時、未だ「歌謡曲」というイメージがある事に気付く。我々の年代では多いと思うが「小室ファミリー」的なイメージが強い。調べてみると別に小室ファミリーでも何でもなく、松本さんがビーイング系のツアーギタリストだっただけみたい。知りませんでした。ごめんなさい。

B'z - Wikipedia 

ロックであるか、ロックでないか、は完全に主観であるが結構重要で、楽器を触る人間は楽曲を楽器ごとに分けて聴く癖があり、サビのメロディが良いとか歌いたいとかそういうのは結構どうでも良くて「ここでそのコード使うのか!」とか「ウホッ!ベースラインかっけー!」とか「バスドラの入れ方変わってるよなこの人」とかでロックの度合いが上下する。ボーカルメインでの聴きやすさという意味では良いんだろうけど何か物足りなさを勝手に感じているのかもしれないし、知らないだけで今の曲はそうでないのかもしれない。聴いてから言えこのバカと言われそうだが、イメージが先行しすぎてそこまで深く掘り起こす行動に出れない。昔は今ほど音楽を無料で聴けるコンテンツが無かったので、誰からのルーツなのかとか、雑誌などのレビューを読んだりだとか、ジャケ買いだとか。ジャケ買いなどは損したくないから例え1曲目で絶望したとしても何かカッコ良いところは無いかと見つかるまで聴き込んでそれで好きになったアーティストもいる。これらは、ジャケットであったり音であったりはたまたバンドのヴジュアルであったり、全て私が「ロックだな」と感じたものであった。

繰り返し聴きたい・ロックだぜと私が思うものはただ一つ「この曲を俺も弾きたい」と思うものであった。私の思う、これこそジャンルは関係なく「俺も!これ弾きたい!」と思えばジプシーキングスもキング・クリムゾンもデッケネも、たまでさえも私を突き動かせばロックであった。B'zはポップスなのか、ロックなのか。カッコ良いんだからどっちでも良いじゃねえか誰なんだよお前は的に思われても仕方ないが、B'zは私の中でロックじゃない。TUBEの春畑道哉はロックだしスピッツもロック、ロックの定義など人それぞれなんだろうが、カッコ良いからロック、ダサいからロックじゃないという事ではない。カッケーな!真似したいけど真似出来ないな!これが私の中のロックなのだ。音楽だけではない。ロックな人はどんな業界にもいる。私は40を過ぎたオッサンであるが、ロックなオッサンが目の前に現れれば目をキラキラさせながらキッズに戻り、古臭いもの、新しいもの分け隔てなくカッケーな!と思ったその瞬間、私はそのロックンロールを真似るのだ。

 

幸せの割合

「娘さんを幸せにします」「君を絶対幸せにする」男女が結婚する時の常套文句であるが今もあるんだろうか。昔と今では価値観が変わってきてるから今はもう無いのかもしれない。そんな私もこの常套文句の世代であるが、「君を幸せにする」という言葉を思い返すと考えることもある。それは「私の思う幸せ」を押しつけてしまってはいないか。では「私の思う幸せ」とは何だろうか。第一にお金や食べるもの、着るものに絶対不自由させないことだ。だから休まず、寝ずに働くことに何の不満も無いし仕事を好きになる努力もしてきた。飲みに行くことも無いし他のブログで読むような趣味もギターを弾くぐらいで特に無い。貴様は何が楽しいのだと問われても、家族に不自由な生活をさせないことと元気に仕事が出来ればそれでいい。しかしながら奥さんや子供が思う幸せとは何だと考えると、お金は少しで良いから家にいて欲しいのかもしれない。理想はお金があって私も家にいる事なのかもしれないが、ボンボンでもないのにそうもいかない。私は家族が欲しいものや必要なもの、食べたいものをお金が無いからといって我慢してる姿を見るのは耐えられない。多少の無理は承知の上だ。しかしそれは「私の考える幸せ」でしかない。定期的にこの事について考えてしまうが答えなど出ない。いや、答えは見えているのに行動していないのかもしれない。お金と家族の時間。どっちへ行っても取り返しがつかなくなるんだろうなと想像している今、では何が正しいのだと考える。まずは「幸せにする」という私の傲慢を消さねばなるまい。

伴侶の携帯を見て良いことなんて無い理由

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これね。よく言いますけどね。私もそう思うんですよ。ウチの奥さんも見てたみたいですけどね。ウチの奥さんガジェット系弱いのでね。分かるんですよ。見たんだなと。最近はめっきり見なくなりましたけどね。今はAndroidなんですけどその昔私はiPhoneを使っててですね。当時はLINEが無かったのでメールですね。メールのアプリを開けると受信を始めるわけですよ。メールチェックを終えてiPhoneを元に戻してもアイコンの右上に⑤とか付いてるわけです。それすらも気付いてない奥さん。風呂上がりにiPhoneを開いてその状態を私が確認すると、見たんだなーなんて思いながら私も知らないフリしてました。あとはアプリの起動履歴ね。こんなアプリ最近開けてねーよなーみたいなのが起動されてるのを見るとそうかそうかなどと思います。まぁ私はやましい事など全く無いので別に見られても構わないしパスワードも言ってあります。全く問題ない。しかしながらそんな私でも携帯を見て良いことなんて無いと思うわけです。何故かというと「粗を探そう」としながら見るからですね。何でもない文章が怪しく見えるわけです。何でもない相手が怪しく見える。「好きだよ」「私も」「早く会いたい」みたいな文句を探しながら見れば社交辞令ですら怪しく見えるわけですよ。そして「これ誰?」ですよ。それ取引先の女社長で私より20個上ですけど…みたいなね。男は気が小さいから本当に何も無くても「あ、疑われてる」なんて一度でも思うと「いらん事言うたら余計に疑われるな…」なんて事を考えると、どもって焦って顔がひきつってあれ?何で俺今焦ってんだと思えば思うほどどもって頭が真っ白になって奥さんの顔をふと見上げると「したり顔」もしくは「( -ω- `)フッ とうとう尻尾を掴んだか…」みたいな顔になってて「えー!!!何これこわい」なんて思いながら考えたら本当に何も無いのに何でこんな事になってんのと考えたらだんだん腹たって来て「何もない言うてるやろ」なんてちょっと声を荒げたりなんかすると「あら何そんなにムキになってんのかしら」みたいな空気になって「なんなのこれちょっとマジ腹立つんすけど」的な気持ちが高ぶれば高ぶるほどこっちの「ほんまに何も無いのになんで責められてるみたいになっとんねんおかしいやろ俺の最初の余裕どこ行ったんやクソが」なんて思ったところで本当に何も無いわけだけどそれをこのiPhoneだけで証明なんて出来るわけもなく「落ち着け…落ち着け俺…」なんて思いながらも奥さんはまだiPhoneに指を滑らせながら私と誰かのやり取りから逐一「粗」をピックアップ!冗談で友人と「おっパブ」の話をメールで面白可笑しくやり取りしていたのを発見!おいまさか行ってない「おっパブ」も行ったことになるんじゃねえのかちげーよ俺は「おっパブ」という単語が面白いから頻繁に使用するだけだと心で叫びながら黙っていると「おっパブ行ったん?」と畳み掛けるように二次災害に発展したなおい俺は浮気もしてねえしおっパブも行ってねえのに何なんだこの空気は必死になれば必死になるほどムキになればなるほど俺の信用は音を立てて崩れ始めててどうすりゃ良いんだよクソがよし分かったもう喋るのをやめよう蟻地獄だろうがもがけばもがくほど穴に引き込まれて行くというかもう片足食われてんじゃねえかもう本当勘弁してくれ俺は行ってねえんだよ!!!男同士なら喋るだろこんな内容の話40過ぎても男はバカなんだよウンコチンコおっぱいでゲラゲラ笑ってんだよてゆーかまだ見てんのかよ何だ次は何が出てくるんだ俺は誰とどんなメールしてんだ思い出せ突っ込みが入ればすぐさま冷静に回答出来る文言を用意するんだ思い出せ俺何を書いたんだ無理だ思い出せねえ当たり前だろ何にもしてねえのにそんなバカ話いちいち覚えてるわけねえだろ何だよ何なんだよ何で俺は何もしてねえのにこんなに後ろめたい気持ちになってんだよそんで重すぎるだろ空気がよ!な・ん・に・も・し・て・な・い・の・に!寒い寒いよパトラッシュ… 俺はもうダメかも分からんね… 眠くなって来たよ… 何も聞こえない… 何もしてないんだ… 僕は本当に… 

 

今日はそんなところ。

 

 

体罰について考える前に自分の過去を振り返ってみた

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日野さんのビンタの件で殴られた子供の父親のコメントを聞いて私は母親の事を思い出した。私の青春時代はどうであっただろうか。中学生で部活にも行かずブクブクと醜く太り、そして忘れもしない厨二でブルーハーツマーシーに出会い、ロックは太っちゃいけないと無理なダイエットをして35kgほど体重を落としたあの頃。30代前半まではその体形を維持していたが、今では25年越しのリバウンドでまた醜く太るだけではなく薄らハゲまで加わり、理想と現実の境が分からなくなりながら空を見上げて不気味に笑っているといった気味の悪い中年になった。青春など幻。あの頃の私などもういないのだと別れを告げたのだが、ふと体罰について考えたのでこの際振り返ってみよう。

私がはっきり覚えている体罰、それが体罰なのかどうかは私には分からないが、先生にこっぴどく殴られたのは3回。実際はもっとあるが細かい事は覚えていない。こっぴどく殴られたのは3回だ。小学校4年生の時、中学2年生の時、高校1年生の時である。

小学生4年生

小学生の時は先生に「カーテンで遊ぶな」と何回も注意されていたにもかかわらずターザンのように宙を舞ったその着地点に大きくて高そうな花瓶があり、当たり前の話であるがカーテンにブレーキなど付いておらずそのままライダーキックに様変わりしたという具合である。その時の担任に往復ビンタどころか5往復の平手打ちと胸をドンドン押しながら詰め寄ると言った恐怖を喰らった。それもそのはずだ。私は何を思ったか謝らなかった。バカの極みである。

中学2年生

痩せたということ、ビーバップ全盛という事も手伝って、私はノリに乗ったイチビリとなっていた。そこでは先生たちが口を酸っぱくしながら「髪を染めるな」と言っていたが私にはそのなもの何も問題ない。オキシドールである。今の若い子は知らないだろう。オキシドールなどというおどろおどろしい名前の消毒液を大量に買い、頭にぶっ掛けているのである。私が当時の親であれば「コイツ気でも狂ったか」と思うはずである。言うまでもなく登校時に学校の門でボコボコに殴られた。バカの極みである。

高校1年生

バイトで買ったクレイマーのギターを必要以上にダルそうに肩で担ぎ「スルーネックやしめっちゃ重いわ...(苦笑)」などとのたまいながら、弾ける曲と言えば当時は「ゲットザグローリー」オンリーであった。ゲットザグローリーにスルーネックが不必要なのは言うまでもない。その調子に乗ったクソガキはあるマラソン大会の日、スタート地点まで走って来いと言われていたにも関わらず「ダルイっしょ!走ってなんか行けないっしょ!」とゲットザグローリーを歌い叫びながら原チャリに乗って行く途中で先生に見つかり原チャリから引き摺り下ろされた。お分かりだろうが、それがさも当たり前のように、華麗に、執拗に殴られた。何故かは知らないがそのマラソン大会ではいきなりやる気を出して3位になった。バカの極みである。

 

どうだろうか。こうやって書いていると私に関して言えば「殴られて当たり前」だと今でも思っている。「やるなよ貴様」と言われているにも関わらずやる。ではあの時私にダメな理由を言い続けて言う事を聞いただろうか。答えはNOである。子供ながらに私はこの人の言う事は聞くけどこの人は聞かないといった判断をしていたように思う。それは「殴る先生」なのか「殴らない先生」なのかだ。今では信じられないだろうが殴る先生はいつも使わないくせに木刀を持っていた。鬼である。鬼。その鬼の前では我々は翼の折れたエンジェルとなり、なるべく目を合わさないように、見つからないように、絡まれないように歩いていた。しかしながらこのおかげで私は「頭一つ出る悪さ」をしなかったのだと思う。理由は簡単だ。殴られるのが嫌だからである。もちろん鬼にすら歯向かって悪さをしていた連中は未だにほぼ全員行方不明になっている。

体罰絶対反対となる環境

最近興味深いものを見た。それはチビが通っている幼稚園と私立の小学校である。参観と学校説明会で私が目にしたのはどこを見ても「悪い奴がいない」のだ。私がよく見ていた風景と全く違う。子供たちは先生の言う事をちゃんと聞き、騒ぐ子供もいない。先生の言う事を聞くのが当たり前なのだ。ちゃんと整列し、ちゃんと声を出して挨拶をし、ちゃんと誰かの発言に黙って耳を傾けている。整列してる時に後ろからわき腹をくすぐったりダルそうに挨拶したりいきなり意味不明な踊りを踊りだす子供がいない。なるほど。この環境に「体罰など必要ない」んだなと思った。

しかしながらそんな環境ばかりではないしそんな人間ばかりではない。突き抜けて悪い奴は何やっても無駄だと思うが、私のような中途半端なイチビリに関して言えば目が碧く光っている鬼は効果的なのである。そして我々も理不尽に殴られていたわけではない。何度も「やるなよ」と言われているにも関わらずやる、その結果ゲンコツが飛んでくるのだ。昔の大人・父親のゲンコツは「このオッサン鉄球でも握ってんじゃねえか」と思うくらい痛かった。幼い日を思い返すと「この線を越えたら殴られる...しかし...どうだ...面白そうじゃねえか...向こう側に行きてえ...どうする俺...どうする!!!」と面白い事とゲンコツを天秤にかけ、そして魅惑の向こう側に行って殴られるのである。

先生と親の信頼関係

昔は親が学校の先生を完全に信用していた。いつから「先生」は今みたいになったんだろうか。私が学校で先生にゲンコツを喰らって「オカン!今日先生にどつかれたで!」とドヤ顔でチクった私は「お前が悪さするからじゃ!」ともう一発ゲンコツを喰らって泣いたあの日。子供からすればこんな理不尽があって良いものかと思うが今となっては「先生」は「先生」であったのだと私は思う。先生のレベルが下がったのか親がおかしくなったのかは知らないが、今の関係性で「体罰」もクソも無いだろう。お互いの信用が無ければそれは「暴力」でしかない。

 

私の思う「体罰」とは、善悪の線引きがちゃんと出来る感覚と信頼関係があって初めて成り立つものだと思う。理不尽に殴るのは暴力であってそんなものは許されるはずない。私は体罰を肯定しているわけではない。私の幼い頃のように言っても聞かない場合はどうするんだろうか。そして我が子はどうだろうか。学校で先生に殴られたとチビが私に言った時、私はどう思うんだろうか。それは「体罰云々」ではなく、その先生がどんな人物なのか、で私のその時の思いは180度変わるんだと思う。日野さんにビンタされた子供の父親は「うちの子が悪い」と言った。日野さんを信頼していたんだろうなと私は思った。この先生なら任せても大丈夫だ、そんな先生がウチのチビにも現れてくれる事を祈るばかりである。

 

 

中で出しても良いかと問う男と中で出してと叫ぶ女

miurayoshitaka.hatenablog.com

 

読んだ。面白かった。「~しがち」という言葉でそれぞれの行動をまとめながらも不倫カップルにザクザクと斬り込んでいってて実に痛快。さすが経験豊富な弁護士だなーなんて思いながら読んだ。そして私もこの中の行動について考えたことがあったので書いてみる。

最初に、ここで書く事は私の「想像」であって「経験」ではないとお断りしておく。すでに表題で書いてしまっているが、不貞カップルにはこの手の人間が「多そう」だなと私は思っている。それは「中に出しても良いかと問う男」の独占欲と支配欲、「中に出してと叫ぶ女」は自分に対する男の覚悟を確認する行為、そしてこれらの行為や思考は不貞カップルのセックスを大いに盛り上げ、媚薬と言うよりも覚醒に近い思考ドラッグとして効能を発揮する。であるから、両方がこの思考や行動を用いれば燃え尽きるほどの感情の高ぶりを味わう事になるわけだが、片方の腰が引けてしまうとその愛の炎は燃焼しきれないという事になる。

避妊具を付ける事を当たり前とする男 + 妊娠のリスクを回避したい女

子供を作るという目的の無いセックスであれば避妊するのは当たり前であり、男の責任・女の妊娠はほぼ回避出来る。しかしながら「刺激」と言う意味ではあまり効果を発揮しない。お互いにリスクを取らないという意味では理性的な関係と言える。飽きたら自然消滅するパティーンの関係性。

中で出しても良いかと問う男 + 妊娠のリスクを回避したい女

この場合、男の機嫌がすこぶる悪くなる。興味深いのは「出しても良いか」と問いながらも「中に出さない」男も多い。聞くだけ聞いて「良いよ」と回答があればそこで「独占欲」と「支配欲」は満たされるのである。女性は「機嫌が悪くなるバカ」と「良いよと答えるだけで満足する男」の2パティーン存在する事を覚えておいて欲しいのと、ごく稀に「良いよ」と言ったら本当に出しやがるバカもいる、という事も注意されたし。

避妊具を付ける事を当たり前とする男 + 中に出してと叫ぶ女

お互い「覚悟」という言葉をしっかり噛みしめた方がよい。快楽に溺れ女の言う通りにすれば妊娠する。当たり前である。そもそも不貞行為をしている時点でアウトなのにも関わらず、男は「君が妊娠なんてしたら身体を傷つけることになる」などと宣うケースが多いが、これは暗に「妊娠しても俺は知らない」といった告白に当てはまる。相手を思う気持ちに誤差がある事をここで気付いた方が良い。

中で出したい男 + 中で出してと叫ぶ女

狂気の沙汰である。先の事など全く考えず今この時を最大限に楽しみ、快楽に溺れ、自身に覚悟などあるのかどうかすらはっきりしない中でこれでもかと相手を貪り、そして事が済めば愛と未来を語る。二人の愛の確認が終わってもなお「ガンギマリ」であり、その覚醒を求めて月に一度が週に一度になりより相手を求める事となる。この時すでに遅し、愛の覚醒により脳は完全に朽ち果てているので「バレても良い」と行動が大胆になるのである。

まとめ

自分のケツを自分で拭けない人間がこういった行為にドはまりする。バレなければ良いという意見には私は賛成だ。しかし「欲」を抑えないとバレるのだ。不貞行為というある種のドラッグにはまる人間にその手の欲を抑制出来る理性があるとは私は思えない。そしてその欲を抑えた時、それは何の魅力もないものと変化し冷静になる。相手が魅力的だから止められないのではなく、自らの独占欲・支配欲・こんなに愛されているんだと実感できる覚悟を感じたいために人は狂うのである。

 

知らんけど。