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おっこちょこいのブログ

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ

金が無い奴は絶望してる暇があったら環境を変えろ

金が無い連中の周りをウロウロしてたって金なんか掴めるわけがない。金が無い奴の友達は金が無いんだ。バカの友達はバカなんだ。と、いうことはだ。金持ってる奴の友達は金を持ってるんだ。その周辺や場所に如何にして自分が立つか。そこが問題だ。

私は若い頃、バンドをやっていた為、色んな仕事(バイト)を転々とした。大工、工事現場、鉄工所、着ぐるみetc ここにベンツを乗り回すような裕福な人間など一人もいなかった。一日の稼ぎで酒を飲み、パチンコをし、女を買う。私の周りは絵に描いたようなその日暮らしの毎日。私もそれが特別な事ではなく普通であり、特に何も思わなかったしこのまま年を取るんだろうと漠然と思っていた。

しかしある日突然、私は「このままでは多分ダメだ」と思い立ち、全てを変えようと行動した。何に感化されたわけではない。突然思った。髪をカットし、スーツを買って一般企業に潜り込んだのだ。当然ながら何も分からない。パソコン使えない・一般常識など「ウマいんすかそれ」レベルである。かなり虐められたし超絶ブラック企業であった。仕事山盛り残業代出ない洗車させられながら会社に金が無くて支払い出来ないからお前アコムで金借りてこいみたいな会社だった。

今ではよくやっていたなと思うが、その時はそれがヤバい会社だと気付かなかった。ホワイトな会社を知らないから。こんなもんなんだろうと思ってやっていたのだ。バカが一番強いな。なぜそんなクソ会社を辞めなかったのか、それはパイセンがムカつくからだ。「怒り」がモチベーションの私は「コイツより偉くなってやる」という幼稚園児が「将来は社長になりたいです!」みたいな思考で鬼のような業務をこなしたし勉強もした。そこで色んな良い人達にも出会い、この言葉を聞いたのだ。

「社長の友達は社長だ」

なるほどと思った。そこからは社長にターゲットを絞る。どんなに小さな会社でも良い。仲が良くなれば社長の考え方や社長の人脈、社長の行動や歴史について教えてくれと頼んで回った。完全に変な奴である。しかしながら社長は変な人が多いし変な奴が好きだ。「オモロい奴おるで」と数珠繋ぎに紹介してもらった。もちろん「仕事」という手土産は忘れずに。そこで学んだのは仕事は当たり前だが考え方や行動の仕方や判断の仕方、くだらない事では、財布の中身や金額、カバンのメーカー、スーツのブランド、飲み屋の女を孕ませてしまって超ヤバいんですけどその他諸々である。

そして私は一つ一つ、仕事を頑張っては財布を買い、カバンを買い、財布の金額を合わせたり誰かと食事をすればこちらが出すといった事を少しずつ覚えて行った。必要なら借金をしてでも買ったし払った。それは「欲しい物」ではない。「必要なもの」だ。この時すでに、昔の自分とは完全に差をつけていたのである。金は無い。しかしながら「金を掴めるかもしれない所」に私は居た。それは何かというと「決裁者」が目の前にいるという事だ。後の営業が楽になるのは言うまでもない。

こんな話は稀な話だと思いがちだがこんなもんは誰にでも出来る。「痛み」を我慢するだけだ。最初は大勢の前で恥もかくし失敗して損するし怒られるし嫌われるしやっている時はかなりしんどい。というか痛い。ここで言う「痛み」とは責任の事である。痛いのが嫌ならやらなきゃ良い。その日暮らしで良いならそれで良いしアフィリエイトでシコシコやるのも良いだろう。私は嫌だった。

世の中で金を持っている人たちは皆、気が狂いそうな痛みに耐えている。それを顔に出さず、さも当たり前のような顔をして明日も笑っているのだ。サラリーマンもフリーランスも個人事業主も零細企業社長も関係ない。

「痛み」と「金」は両手に同じ重さだけ乗っている。

 

 

結局互助会云々の話って「インターネットを愛する人」と「インターネットに興味ない人」の戦い

まぁタイトルで完結してますね。この手の話題があればジッと観察しているのですが、最近はそういう事なんだろうなぁなんて思いながら見てます。記事が面白いとか面白くないというのは主観なので一概には言えませんが、記事の熱量は読んでて分かりますよねぇ。情熱っていうんでしょうか。私はインターネッツ詳しくないのでASPやらSEOやら言われても分からんのですが、一応ググって広告だけは貼り付けてんですけどね。まぁその後は放ったらかしですよええ(笑) オッサン分かんないし調べるのも面倒だし。

見ていて思うのはですね、「金ありきの人」と「金は後から付いてくる」って人は読んでて分かるのですよ。「金ありき」の人のブログって手法やテクニックばかりで熱量(エネルギー)が無いのに「それ」を前に置く。「金は後から付いてくる」人ってテクニックは勿論使ってるんでしょうけど、それを前に置かないのですね。まずコンテンツや文章の質を上げようと努力されている。それって読んでる人は見えますよね。二つとも見えるんですよ。

私が現実社会で仕事をしていて、「ただ売りたいだけ」の奴は相手にしない。やはり「内容」や「サービス」について真剣に考えてる人から買いたいしお付き合いをしたい。目の前のコイツは「金を先に」考えているのか「金を後に」考えているのかが分かるのだ。それを単純にビジネスだと捉えて気にしない連中の末路は悲惨である。今目の前の人間から「信用」を勝ち取れるか否か。それは「金」を先に考えるか後に考えるかで振り分けられる。

結局そういう思考の下で「インターネットに興味のない人」がテクニックを駆使して記事を放つ。それを目の当たりにした「インターネットを愛する人」達がカチンとくる。見れば分かるからだろう。熱量は文字数や文章・ブログの作り方ではない。

私も例にもれず「インターネットに興味のない人」に含まれる。ただ一つ言いたいのは、「セコい方法」で金を稼ごうとはしていないという事だ。では何故ブログなどしているのかという問いにはこう答える。

「ここでしか見る事の出来ない人間が見れるから」

そうだ。妖怪ウォッチならぬ人間ウォッチが趣味の私はここはてなでかなり楽しませて頂いている。そこで茶々入れ程度に記事を更新する。こんなに個性的なウェブサービスは他にはないだろう。芸能人なんて笑福亭鶴光ASKAぐらいしか思い浮かばない。博多大吉なんて最新記事が274日前である。大吉よ。正解だ。こんな所で文章なんて書くとロクでもない事が起きるのは目に見えている。

ウェブジャンキーと金の亡者の殴り合いは見ていて飽きない。

 

結婚とは何なのかを考えてみる

 【疲れた】40代アラフォー女性の婚活成功率が1%未満という厳しい現実【妥協】


【疲れた】40代アラフォー女性の婚活成功率が1%未満という厳しい現実【妥協】

 

この手の記事ってちょこちょこ見るよね。まぁこの記事自体煽り気味で刺さるようには書いてあるんだろうけど、40代の結婚が男女共に難しいというのは本当なんでしょう。基本的に自立出来てるから「無理しなくても良いか…」なんてのもあると思いますけども。求職や就職も似てるとこあるよね。働いてる側の人間は「選ばなければ、贅沢言わなければいくらでもあるだろ」なんて言うし、探してる方は「そんなに高望みしてない!」って言うし。

話逸れちゃいましたけどこの手の記事読むといつも思うのはですね、「40代だから」結婚出来ない・出来る確率が下がってるっていつも書いてるような気がするんですね。まぁこの記事の説明にもあるんですが「婚活をしている40代女性」となっていますからアレですけども別に「40代だから」結婚出来ないわけじゃないでしょなんて思うのですよ。いつも。する人は40代でもパッとするでしょうし特に妥協してるわけでもないでしょうになんて。

もちろん私の周りにもこういう女性が結構沢山いらっしゃるのでそういう方達をジッと見ていて思ってる事を書いてみましょう。

書くことなんて一つしかないんですけどね。欲しがっているのが見えるのですよ。男をとかそういうゲスい話ではないです。この記事中にもバッチリ書いてありますが、相手の「収入」とか「職業」とか「資産」とか諸々。そういうのを欲しがっている、というか気にしてるんだろうなというのが見えてる。男はバカですが一応プライドというものがありましてですね、露骨にそれが見えるとアウト、チラッとでも見えるとビビるんですよ。この人が思っている条件を自分はクリアしてんのかな?なんて。

そこでビビらず突っ込んでくる男は間違いなく既婚者。そして独身は後ろに下がる。完全にビビってますよ。それが増田なら完全にウンコちびってますよ。んで男に聞けば聞いたで自分だけの稼ぎで養う自信なんて無いなんて言ってますからね。噛み合うはずないよねなんて思いながら話聞いてたりします。まぁこの手の話はいつもデモデモダッテが出てくるから完璧な回答なんて無いので適当にお茶濁してますけども。

私が思うのは「必要以上に求めなければ良いのに」なんて思うわけですよ。相手の為に自分がやると。男の年収が200万~300万でも二人で働けば500万~600万にはなるでしょ。何でそれじゃダメなんだろと。考え方としては「二人で」生活しようという考え方。「結婚=養ってくれ」とか「結婚=楽させてくれ」とか「結婚=家事やってくれ」なら話変わりますけどね。まぁずっと探してりゃ良いじゃんなんて思いますわね。

愛とはなんぞやなんて、そんな気持ち悪い綺麗事言うつもりはありませんが、結局「相手に見返りを求めない」という事を根底に置いておくと少し状況って変わるのではないかなと。男女ともにですね。最近の40代、50代の女性って凄く綺麗な方多いじゃないですか。このブログを書いてらっしゃる方も多分すごく素敵な方だと思うのですよ。そういう綺麗な女性達の婚活成約率1%、逆に言えば1%のハイスペック男を争奪しているわけでしょ?気持ちは分かりますけども。

年齢はあまり関係ないですよ。若い女性じゃないと嫌だなんて言う男は逆に地雷だと思いますけどね。例えハイスペックでもね。結局思いやりですよ。それが無けりゃ早くに結婚してる連中もボロボロですもんね。妥協なんて言わずに、もう少しだけ優しい目線でお互い接すれば1%が30%にも50%にもなるんじゃないのかなぁなんていつも思うわけです。

ネックなのは一つだけ、これを書いている私は「デブ」「ハゲ」「短足」、ここはてなでのあだ名が「三暗刻」という事ぐらいでしょうか。説得力が全くありませんね?ありがとうございます。三暗刻は元気に生きています。

 

(´;ω;`)ブワッ

 

 

 

今日生まれて初めて心が壊れた

今日友人が死んだ。今日の昼過ぎ、連絡があった。それを聞いた時、「あぁ、そうなんだ。」と何も感じなかった。私は自分自身を冷たい人間だと思っている。助けてあげられる範囲なら、助けてあげたいと思っているのなら助けるが、何も感じない人間に関しては自分でも驚くほど冷静に物を見ることが出来る。

死んだ友人は出会って25年くらいになるだろうか。ここ数年はご無沙汰であった。仲は良かったと思う。私が腹を割って話が出来る数少ない友人の一人である。カッコつけずに、自分の醜くて卑しい部分をさらけ出すことの出来る、そしてその友人も私には本音で接していてくれていたのだと思う。

その友人が死んだのだ。悲しいはずだ。しかし何も感じない。そうか、私はもうこんなに汚れているのかと思った。そしてその友人の事を思うと同時に別の友人の顔が思い浮かんだ。そう、我々は3人組でいつもバカな事をやって腹を抱えて笑っていた。その友人はこの事を知っているだろうか。スマホでまたその久しく会っていない友人の電話番号を押した。その友人との会話は1分だけ。

 

「アイツが死んだそうだ。」

「聞いた。」

「そうか。」

「詳しい事分かったらまた電話するわ。」

「分かった。」

 

それだけだ。この友人とも、話したのは数年ぶり。懐かしいなと思いながら電話を切った瞬間、心が壊れた。声を上げて泣いた。手足が痺れ、崩れるように座り込み、涙が溢れ出し、子供が泣くように声が出た。頭と心がちぐはぐになっている。私は何故泣いてるのだと頭では思いながらも身体と心の自制が出来ない。動けないし泣き止む事が出来ない。恐いとさえ思った。心が先に反応して頭が付いていかない。

別に死んだ友人の、昔の事を思い出したわけではない。仲が良かったもう一人の声を聞いただけで、何かが切れたように感情が溢れたのだ。そうか。私は悲しいんだなと思った。私はアイツの事が好きだったんだ。会ってなかったけど、いつでも会えると安心していた。もう会えないのだ。お前は「無」になったのか?どうなんだ?居なくなってしまった。

陳腐な言葉など何もない。人の死に対してただただ無力だと思った。葬式でお別れとなるわけだがこれでお別れだとは思っていない。今までだってそうなんだ。これから先も会っていないだけだ。死んでいるとか生きているとかそんなものはどうでも良い。アイツは確かにこの世に存在していて私に色んな影響を与えた。消えて無くなるなんてとんでもない話である。アイツはそこにいて影響という形で私の中に入った。それでいい。

私も42歳なのでこれからこういう経験がもっと増えるだろう。考えただけで滅入ってしまうが仕方ない。この先会えない友人が一人出来てしまったが、アイツの面白エピソードでも思い出しながら生きて行きたいと思う。どこかでニヤけた顔して見ているだろう。

 

 

「出会いが無い」という理由で彼氏彼女が出来ない人は基本的に素敵な人には出会えない

出会いは自分で作るもんなんだよ!なんて陳腐なセリフを吐くつもりは毛頭ない(ハゲではない)しUNIQLO買い漁ってイケてるコーデについて語るつもりも全くない。私が言いたいのは「出会いが無い」と言っている人達の言う「出会い」の定義は大抵、白馬に乗った細マッチョイケメンないし黒髪ツインテール美処女が「向こうから」自分に興味をもってくれる事を「出会い」だと思っているのではないか、ということである。

イケメン・ブ男、可愛い・ブスというのは、人それぞれの主観である。誰が見てもイケメン・可愛い子が石を投げれば当たるほどウロウロしているわけではない。もっと言えばそんな高級官僚のような人達が「向こうから」興味を持ってくれるなど、端から期待する方がおかしい。そういう人達と近付きたいならそれこそUNIQLOを買い漁ってコーデを勉強し、アプローチすべきである。

しかしながら「出会いが無い」と言っている連中は自分から動こうとはしない人達、少し高望みしているのではないかと私は推測する。外に出れば年齢は違えど男と女がいる。完全に男ばかりの所、女ばかりの所にいるなど有り得ない。いつでもどこでも男と女は居るのである。

要は「相手の良いところを見つけようとする癖」が無い人は、「あ、この人なんか良いな」と思う機会を知らずに放棄している。魅力とは顔やスタイルだけではない。話し方や仕草、雰囲気や考え方と色々あるのだ。人をよく観察し、良いところを探していると魅力的な異性は腐るほどいる。「出会いが無い人達」は本当に良い男や良い女を見過ごしている。

自分だけが知っている相手の可愛い所、素敵な所。そんな異性と付き合えれば、表面的な愛情ではなく、もっと深いところで相手を知りながら長く付き合えるのではないかと私は思う。

 

多少太っていてもハゲていても短足でも気にならないだろう。

 

知らんけど。

 

 

これ以上出ないというほどの大きな叫び声は乱雑な頭の中を空っぽにする

はてな界隈では瞑想が流行っているようだ。静かに目を閉じて心を空っぽにする。多分瞑想には訓練が必要だ。私は瞑想では心は空っぽにならない。雑念や邪念、苦悩や痛みは慣れない瞑想では消えない。

皆は叫んだことがあるだろうか。叫び声。そう。言葉にならない、とりあえず大きな声で唸り声からのうあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あsdfghjkl;:あsdfghjkl;:」あsdfghjkl;:あsdfghjkl;:

私は15年前まではやっていた。やっていたと言ってもその辺であsdfghjkl;とやっていたわけではない。パンクバンドをしていたのでその時に頭の血管が切れるほどに、喉が切れるほどに、涙と涎が垂れるほどに叫んでいた。いつもマイクを通さないから客席には聴こえない。聴こえなくてもよい。客や地面や天井に向かって身体中の穴という穴から汁がでるほどに叫んでいたのだ。演技でもなんでもない。ただただベースの弦を殴りながら叫ぶ。届かなくてもよい。それが自分の音楽だと思いながら暴力的な音を出していた。

そうするとどうだろう。身体の中のものが全て出る。終われば何もない。真っ白。酒もドラッグも何もいらない。簡単だ。叫べば良い。遠慮するといけない。思いっきりだ。目玉が飛び出るほどに。やった事が無い人は一度やってみれば良い。今はカラオケボックスという便利なものもある。どデカい音を出してマイク無しで気が狂ったようにあsdfghjkl;くぇrちゅいおp@と叫んでみると良い。思いっきりやればほぼ黒く渦巻く汚いものが出ていく。

我慢して溜め込んで気が狂うよりも、気が狂う前に気が狂ったように叫ぶ。ここ最近、一般的なサラリーマンとパンク野郎、交互に顔を合わせる機会があるが、一般的なサラリーマンの方が気の触れた発言をするのをよく見かける。パンク野郎の方が真面な事を言っている。見た目だけで言えばサラリーマンの方が社会に順応しているように見えるが果たしてどうなんだろうか。

最近、色んな人を見ながら、気が狂っているのはどっちなんだろう、と考えてしまう。

 

 

最近心の弱い人が多い気がする

そういう人を目の当たりにすると「宗教に頼れば良いのに」私はいつもそう思っている。とは言っても私は宗教家ではないし専門家でもないし特定の宗教を信仰しているわけではない。興味はあるので本を読んだりはする。そこで考え方やその宗教が言いたい事を自分に取り入れ消化している。

私の宗教の捉え方は、神様が云々やら信じればどーのこーのではなく、苦しいことを少しでも楽にさせてくれる考え方であり、恐怖を和らげる知識である。だから特定の、どこどこの神がというものは無い。色んな宗教に触れている。そして良い言葉に出会った時心が楽になる事が多々ある。

興味はあるので、勧誘の話を聞いたりしているわけだけど、私の心を打つ営業マンは今のところいない。であるから特定の宗教には入らない、いや、入れていない。信じれば報われるとか願いが叶うとか言う奴らが殆どだからである。

宗教というものは、もっと本質的に人を助けることが出来るはずなのにと私は思っている。如何せん勧誘している連中に胡散臭い輩や白目を剥いた人間が多すぎる。もっとちゃんと理解してちゃんと説明すれば良いのにといつも思う。

心の弱い人は本でも何でも良いから少し宗教に触れれば良いのではないか。でも絶対に変なのには引っ掛からないように。宗教と言えど依存してはダメだ。ちゃんと距離を取りつつ、教えを覗いてみるのは私は「アリ」だと思う。