ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ

日本人は働きすぎだと私も思う。しかしそれは隣の芝が青く見えるせいに他ならない。

比較するからでしょ結局。「平均」というボーダーラインを第一のポイントに置き、そこで周囲の芝を見ながら仕事量で収入の調整を行う。その周囲の芝が自分の環境となるわけだ。あの人が家を建てた、アイツがあの車買った、何の時計してる、どこどこに旅行した。フェイスブックなんてその「芝の青さを見せ合う場」の最たるものでしょ。しかし家族を持つとなるとその「隣の芝の青さ」は無視出来ない。

ママ

私は私、と考える事が出来る人がどれだけいるだろうか。ある日のチビの幼稚園の送り迎えでママ友同士の会話を盗み聞きした事(いつも盗み聞きしてる)により確信した。希薄(に見えた)な関係によるお互いの情報収集と相手が聞いてもいない自身の報告。アクセサリーや子供の服のブランド、いつも使用している化粧品など。謙遜しながらも相手より優位に立とうとする言葉の殴り合い。あんなに表情に出さずに挑発したり賺したりという会話はどれだけ大きな商談でも目の当たりにしたことが無い。

パパ

男の世界でもあるだろう。「同僚が」車を買い替えた、或いは新築を建てた・リフォームをしたという青い芝。この青い芝は「ある一定の生活水準を上げるもの」によるもの。ここに「上司」は当てはまらない。同じ環境の中で誰かが頭一つ出ると、嫉妬ではない劣等感や焦燥感のようなものがムクムクと顔を出す。自分の芝を青くするのに一番の近道は会社で評価される事、結果を出す事だ。多少のサビ残には目を瞑らなければなるまい。見えない明日に向かって盗んだバイクで走り出す。

テラスハウスという番組で耳にした言葉が結構刺さった

「生きるために仕事をしている。仕事が終わってから、フリータイムが人生であり大切なんだ。」

これは結構刺さった。今の私は真逆だからね。隣の芝の色を気にしなければ、月給25万あれば生活出来るもんね。借家でも良い、私が住んでる大阪は車が無くても生活できる。食べ物も私が子供の頃と今を比べると良いものが安いし十分贅沢。何より私の両親は贅沢なんてしてなかったし、その中で兄弟4人を元気に成人まで育て上げた。私も特に裕福ではない実家に何の文句も無い。

まとめ

人がどう思おうと、どう見られようと良いじゃないか。私は私。稼ぎは少ないけれど家族と居られれば私はハッピーなんだ、という考え方と、毎日18時間ぐらい仕事して、家にいないけど何不自由なく暮らせる家族という考え方。まぁ現状では自分が働き過ぎだとは思わない。楽しいからね。勝ち進みたい。勝ちたいんや(星野仙一談)。この気力が無くなるとどうなるのかは自分でも分からない。

 

幸せとは何だ、などと考えながら明日も芝を青くするために私は働く。