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おっこちょこいのブログ

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ

長幼の序という言葉を思いながら老害と若者を考えてみる

年上を敬えよお前ら。という話ではない。そういう気持ちは人間関係を円滑に行うには大事ではないか、というお話だ。

昨今、感情を露骨に顔に出す若者が多い。こういうと「お前が敬う対象じゃないだけだバカ」とか「無能上司乙」とか「老害氏ね」とか「細かい事気にすんなハゲ」とか書いてるだけで涙ぐみそうな事をブクマで言われるわけだが、まぁグッと堪えて聞いてくれ。

私にも当り前のように周囲に年上はいる。私は40代だから50代・60代の方達だ。そして超絶無能・老害の年上もいるわけだ。だが私はそういう事はおくびにも出さず、ニコやかに、そして気分悪い対応も華麗にスルーする。わざわざ「は?」みたいな顔はしない。目の前にいる老害が殴っちまうぞコノヤロウという人間でも、それまで生きてきた軌跡がある。

本当にどうしようもない人間は私の前にはいない。いないはず。その人間はどんなに小さな事であっても会社で必要とされているから存在しているのだ。ではその力を私の力に変換出来ないかと考える。「オマエ スキ」「オマエ キライ」「オマエ ウンコ」という考え方や対応はしないという事だ。

ウンコの私でも「やったなぁコイツゥ」「ウフフフフフ捕まえてごらんなさぁい」的な関係が保てれば協力を惜しまない。ウンコは臭い。しかしウンコにしか出来ない事もある。然るべきその時が来るまで、普段からウンコとキャッキャウフフの関係を保っていればウンコは想像以上の働きをするかもしれない。

私はどんなに嫌な人間でも、経験や失敗を積んだ年上の方達に敬意を表す。そして教えを乞う。そういう方達の経験や失敗談は私のリスクヘッジであり、体験せずとも自分の経験・知識となる。年長者が松下幸之助のような人間ばかりでない。そんなわけない。しかしながら、仲良くしてればどんな人間でも「おい、あそこに石があるからつまずくなよ」と教えてくれる。そこに石があるのは分かってても「あざす!(笑) 助かったっす!(笑)」って笑って言えば良い。それだけで良い。「は?」みたいな顔はしなくて良い。

何も自分からそういう機会を排除しなくても良いだろうという話だ。人が集まれば自分の10の力が20になり40になり80になる。難しく考える必要なんか何もない。とりあえず大きな声で笑っとけ。

まとめ

俺はウンコなの?(震え声)