ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ。口癖は「えー、そんなの別にどっちでも良いんじゃないの?」老害発言の説明文多し。

はてな古参の人達のブログを読んでいてふと気付いたこと

私のブログは一年も経っていないのでまだまだ新参であり、一年生にもなっていないクソガキである。何も分からずその辺の物を触り手に取り口に入れては怒られる。周りを見渡すと知らない物や興味のあるものばかりで手に取って遊びたいけどこれで遊んだら怒られるのかなー?などと思いながら遊ぶと案の定怒られる。はてなを始めた頃は知らずに方々から斧が何千本と飛んできて未だに何本かは頭に刺さっている状態である。

色んなブログを読んでいると新参・互助会と呼ばれる人達(もちろん私もここに含まれる)はこの斧を毛嫌いしている傾向があるようだ。「嫌なら読むな」「こっち見んな」「何なんだよ正体不明のアイツらは」などである。私も当初はそう思っていた。レッテルを嫌うお前達は我々新参に互助会のレッテルを貼っているではないか。つか互助会って何なんだよ。何でそんなに執拗に「互助会消えろ」やら「クソつまらねえブログを叩け」と叫ぶのだと。

私もこのブログに広告を貼っているが、特にブログで荒稼ぎしよう等とは最初から思っておらず、どうせブログを書くなら広告貼っといてお金入ったらラッキー程度で始めた。なので炎上が収まってからはブログをポツポツと書きながら増田を読んだりブクマをやってみたり「ブログを書くという事」以外の面白い事を探していた。そこで所謂村民や古参と呼ばれる人達のコメントや思想をジッと見ていたのである。そしてインターネットについて書かれたある記事を読んだ時にふと気付いた。

 

私にはインターネットに対する愛が無いんだろうな、と。

 

古参の人達と我々新参の決定的な違いは「インターネットに対する愛」ではないか。ただただ文章を作っては吐き出す「作業」や、これ面白いだろーみんな見てーの「キャッキャウフフ」のノイズ。んなもん関係ねーだろインターネットはみんなのもんだろというのも新参の一つの意見だし間違いではないけど、お前はインターネット若しくはブログが本当に好きか?と聞かれると私は否(別にそーでもない)と答える。便利だとは思うが仕事にしたいとは思わないし、このブログですら無くなれば無くなったで特に問題はない。私が10代の頃はこんなもの無かったんだから。

インターネットが始まって古くから使っている方達にはその方達のルールや暗黙の了解、楽しみ方があり、その時インターネットを使っていなかった人達は別の「面白い」を楽しんでいた。そして誰でもどこでも簡単にインターネットが使えるようになった近年、我々は今まで見向きもしなかった所にヒャッハー!!!と足を踏み入れる。今までせんど繰り返されたコピペを我が物顔で発信し、触ってはいけないものを触り「わざとでーすwwwwうえーいwwww」と騒いでいく。

楽しみ方が違うとか価値観の違い、ただ単にお互いを「やっかみ」だろうと切り離すのは簡単だが、この人はなんか濡れ衣を着てるよなーなんて感じる事も確かにある。それは古参も新参にも。ブコメなんかを読んでると普段は攻撃的なコメントしてるのに、へぇ〜この人こういう事考えてんだなーとか、新参でもこの人はただ単にブログ楽しみたいだけっぽいのに叩かれてるなぁとか。別にお互いすり寄っていく必要はないけど、ブコメでのスターのやり取りなんかすると結構ほっこりしたりするよね。

んな事関係ねーっつの!俺たちは俺たちの楽しみ方があんだよバーカ!って人は勝手にそうすりゃ良いし、私のこんな弱小ブログなど明日辞めるかもしれないし、今更分かり合うことや上手く共存する事なんて不可能なんだろうけど、簡単に毛嫌いするのではなく、相手がどう思っているんだろうと想像しながら続けていけばまた何か違う「面白い」を発見出来るのではないか、などと思ったので書いてみた。

私も11月ではてなの一年生である。触っちゃいけないものや口に入れちゃいけない物の分別もついてきた。でもまだまだ分からない事は沢山あるし怒られる事もあるだろう。その怒られる事を「攻撃」と捉えるのか「注意」と捉えるのかで面白さは増えたり減ったりする。この気付きで私は何か変わるだろうか。インターネットが少しでも好きになれば何が見えるのか。今はまだ期待も絶望もしていない。

 

追伸:誰か頭に刺さった斧抜いてもらえませんか?トラウマなんですけど?