ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ

今日生まれて初めて心が壊れた

今日友人が死んだ。今日の昼過ぎ、連絡があった。それを聞いた時、「あぁ、そうなんだ。」と何も感じなかった。私は自分自身を冷たい人間だと思っている。助けてあげられる範囲なら、助けてあげたいと思っているのなら助けるが、何も感じない人間に関しては自分でも驚くほど冷静に物を見ることが出来る。

死んだ友人は出会って25年くらいになるだろうか。ここ数年はご無沙汰であった。仲は良かったと思う。私が腹を割って話が出来る数少ない友人の一人である。カッコつけずに、自分の醜くて卑しい部分をさらけ出すことの出来る、そしてその友人も私には本音で接していてくれていたのだと思う。

その友人が死んだのだ。悲しいはずだ。しかし何も感じない。そうか、私はもうこんなに汚れているのかと思った。そしてその友人の事を思うと同時に別の友人の顔が思い浮かんだ。そう、我々は3人組でいつもバカな事をやって腹を抱えて笑っていた。その友人はこの事を知っているだろうか。スマホでまたその久しく会っていない友人の電話番号を押した。その友人との会話は1分だけ。

 

「アイツが死んだそうだ。」

「聞いた。」

「そうか。」

「詳しい事分かったらまた電話するわ。」

「分かった。」

 

それだけだ。この友人とも、話したのは数年ぶり。懐かしいなと思いながら電話を切った瞬間、心が壊れた。声を上げて泣いた。手足が痺れ、崩れるように座り込み、涙が溢れ出し、子供が泣くように声が出た。頭と心がちぐはぐになっている。私は何故泣いてるのだと頭では思いながらも身体と心の自制が出来ない。動けないし泣き止む事が出来ない。恐いとさえ思った。心が先に反応して頭が付いていかない。

別に死んだ友人の、昔の事を思い出したわけではない。仲が良かったもう一人の声を聞いただけで、何かが切れたように感情が溢れたのだ。そうか。私は悲しいんだなと思った。私はアイツの事が好きだったんだ。会ってなかったけど、いつでも会えると安心していた。もう会えないのだ。お前は「無」になったのか?どうなんだ?居なくなってしまった。

陳腐な言葉など何もない。人の死に対してただただ無力だと思った。葬式でお別れとなるわけだがこれでお別れだとは思っていない。今までだってそうなんだ。これから先も会っていないだけだ。死んでいるとか生きているとかそんなものはどうでも良い。アイツは確かにこの世に存在していて私に色んな影響を与えた。消えて無くなるなんてとんでもない話である。アイツはそこにいて影響という形で私の中に入った。それでいい。

私も42歳なのでこれからこういう経験がもっと増えるだろう。考えただけで滅入ってしまうが仕方ない。この先会えない友人が一人出来てしまったが、アイツの面白エピソードでも思い出しながら生きて行きたいと思う。どこかでニヤけた顔して見ているだろう。