ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ

私は成功者である

何をもって成功者なのか。それは「自分は今幸せである」という事に尽きる。年収が1億あるとかフェラーリに乗ってるとか毎日ホテルでランチしてるとかクルーザーで女を侍らせてるとか誰にも縛られずにブログで100万稼いでます!とかそういうのでは全くない。毎日遅くまで仕事をし、休みもそんなにあるわけではない。お金は同年代と比べると多少の融通は利くかもしれないが、ベントレー乗り回してるわけでもギラギラのロレックスをしている訳でもない。

要は、考え方として「幸せを感じるハードルが人より低い」のである。フェラーリに乗れずとも普通の車で満足、ホテルで昼飯なんて別にどうでも良い、目の前にアツアツの牛丼があれば美味しく戴ける、服は作業着かスーツだからそれなりの場所に行くのに必要なブランドのスーツが何着かあれば良い。女にモテたいなど別に思わない。社長にはモテたいが。

だから私は隣の芝が青く見えない。私が欲しいものはこの先の仕事環境の自分の立ち位置である。その時、自分が思っている立ち位置に立っていれば、金はある。はず。しかしそこで今よりも多くの金を手にしていても今と別に変わらないと思う。そこに立つために必要なものは借金してでも買う。フェラーリやロレックスが必要なら買うが必要無いから買わない。簡単な話だ。

あれを持っていないから、あれが食べれないから、あそこに旅行出来ないから不幸だと思っているのは自分自身。そしてそれはほぼ他人の芝の青さを見ながら欲をかきたてている。自分がやれる事を真面目にやり、その仕事の対価として金を手にする。人より金を多く手にしたいなら、自分がやれる事を大きくする他ない。やれる事を大きくするには自分の立ち位置を良い場所に持って行かねばなるまい。

金の多い少ない、物を持っている持っていないは関係ない。私がやってきた事に対して振り返れば金があるのか無いのか。先の金は見ない。結果は後ろの金だ。このブログも面白ければ勝手にPVが上がっるだろうし面白くなければ誰も見ない。ただでさえ駄文なのに先の金を見ながらのブログなんて絶対に誰も見ない。検索ワードやら構成など興味ない。読みたい人は読むだろうしその分母の数の操作などこちらが考えるべきでない。

私は幸せである。

嫁ちゃんが美味しそうにモフモフご飯を食べてチビが小猿のように私の背中に飛び乗ってしがみついている。私が仕事をした分だけ我々の家族の後ろに金があり、その金で必要なものを買う。すごくシンプルな話。今の私にはベントレーもロレックスも自由も必要ない。幸せのハードルの高さは私が決める。

 

※ この話は先日「30万のレスポールのギター欲しいなー」という私の発言により嫁ちゃんから烈火の如く怒られて気付かされたものである。