ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ。口癖は「えー、そんなの別にどっちでも良いんじゃないの?」老害発言の説明文多し。

深く突き詰める事こそ正義という風潮

読書の話題になった時、作家で誰が好き?という話になれば私は必ず「東野圭吾」と言うようにしている。そして相手はどういう反応するのかな?と観察する。そこで「えー!私あれ嫌い!」と言う人、「東野圭吾読みやすくて良いよね!」という人、バカにしたように「あぁ...(笑)」と言いながらこの作家を読まないと読書する意味など無いと自分の好きな作家の話を始める人に分かれる。嫌いなのは好みなので構わない。そして私も東野圭吾が滅茶苦茶好きかと問われればそうでもないが好きなのは好きだ。時間があまり無くて読みたい本が無ければサラッと読めるので手に取ることは多々ある。問題は私が好きだと言っているものを「それダメ」と否定してくる人間である。

 

 

はぁ?

 

 

音楽でもある。色々なアーティストがいる中で、私が好きなアーティストは必ず「THE BLUE HEARTS」だと答える。そして当たり前のように何が好きなのかを問われれば「リンダリンダ」だと答える。「あぁ...(笑)」出ました。出ましたよ。「あぁ...(笑)」何なんだ。何なんだ貴様は一体。1985と答えないといけないのか。チェルノブイリの歌詞の捉え方について語らないといけないのか。チューインガムを噛みながらセックス下手な話でもしろと言うのか。おちょいはリンダリンダが好き、それで良いじゃないか。それを否定する意味が私には分からない。ブログでもたまに見かけるが、浅い奴はバカみたいな風潮。

 

 

本人が好きだっつってんだからそれで良いじゃん

 

 

そこから話を拡げたいんだよ。入口を広げてんだよ。東野圭吾で、リンダリンダで相手の反応を見て、あ!この人も好きなのかな?と思ったら小出しでマニアックな話も出していくんだよ。それなのにいきなり鼻から息抜かれたら何なのお前となるんだよ。まぁ私はその東野圭吾リンダリンダで「めんどくさい奴」と「楽しく話せる奴」を分けてるんだけどね。リンダリンダから「初期パンクとは」とか「パンクからニューウェイブの流れとは」とか「ブルーハーツのルーツ」とか別に聞きたくねえんだよ。俺昔パンクバンドやっててCD1,000枚ぐらいあるんだよ。もうその議論は20代初めでやりつくしてるから今は一周回ってリンダリンダ聴いても楽しいんだよ。

 

会話とはキャッチボールであって、相手が何を話そうとしてるのかを予想しながらこちらがカードを切ったり質問したりするよね。私が知らないこと、聞きたいことは「聞きたければ」質問して聞く。皆そうだと思うけど「一方的なあなたの話を聞きたい」わけじゃない。二人で「会話したい」のだ。お互いの腹を読み合いながら、少しずつカードを切りながら二人で何かを「共有」したとき、そこで初めて楽しさであったり嬉しさが増す。そうやって腹の中を少しずつ出していって小さな信用が生まれてくるのだと私は思う。

 

だから現実社会でもここブログでも、手斧で襲われても私は構わない。あぁ、この人は面倒だなと思いながら私はニコニコと対応し、必要なこと以外は話さない。

 

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