ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ

友人がいないと嘆く前に愛をバラ撒け

私に親友・友人はいるだろうか。私が友人だと思っていても相手は思っていないかもしれない。友人とは凄く曖昧な各個人の距離感であり、自身の傲りであると思う。しかし私はそれで良いと思うのだ。自身が相手の事を好きになって、そして好きだという事をちゃんと公言することにより友人関係や距離感が保たれる。好きであればずっと付き合えば良いし嫌いであれば離れれば良い。自分以外の全ての人間が嫌いなんて人はいるんだろうけど少数だと思う。

ここで私が考える「愛」とは何か。ちゅきちゅき大ちゅきではない。「見返りを求めない手助け」である。厭らしい言い方をしよう。「見返りを求めない貸し」だ。それが労力なのか知識なのかはその時による。時間や力があるのなら、よく知らない相手でも私は「無償で」労力を使う。勿論見返りなど求めないし貸しであるとも考えないし期待もしない。そこで相手がありがとうと思って貰えればそれで良い。もっと言おう。相手が勝手に「借り」だと思ってくれればこの先私が困っていたら助けてくれる「かも」しれない。

あれやって「あげた」のに!とか、あの時こうなったのって俺の「おかげ」でしょ!なんて考えながらやっていると、こんなものはストレスが溜まって仕方ない。そういう人間はやらなくていい。トラブルの元だ。お金がかからないのなら、時間があるのなら自分が出来る事をやればいい。これって実はそんなに大層な話じゃない。出来ない事は受けるべきじゃないしちゃんと断れば良い。自分がパッと手を差し伸べてありがとうと言ってもらえる事。誰かのトラブルにグイグイ入っていく必要なんてない。話を聞いて「こうやればすぐ解決するのに」という事案でパッと手を出す。

広く浅くで良い。これを繰り返していると友人という線引きが驚くほど近くなる。あとは自身がその線引きを相手の事が好きだという思いで超えるだけだと思うのだ。自身は何もしないけど相手から友達になってくれるのを待っていても誰も来ない。面白い話をする必要もない。ただひたすら小さなありがとうを不特定多数の人たちから「自分の出来る範囲で」集めるのだ。それでも友人・味方が出来なくとも嘆かなくていい。圧倒的に敵が少なくなる。

 

止まらずゆっくりやれば良い。誰かが必ず「それを」見ている。

 

👁👁