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ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ

他人の目

私は普段、というか平日は家にほとんどいないんだけど、日曜日だけはよほどの事がない限り仕事を入れないようにしている。出張が重なったり長期の工事をしていると休めない時もあるが、なるべく休んでチビと思いっきり遊ぶ。なので日曜日のチビは夜必ず気絶したように寝る。 布団に入って目をつむれば5秒で夢の中である。可愛いやつめ(笑) 

なので日曜日は家の色々な事に関わる。何が壊れたやらどれ掃除するやらあれ入れ替えろやら近所の誰々がどうのこうのまで色々。そこで一つだけ気になる事がある。私は近所の人達と顔を合わせないのであまり知らない。しかし日曜日に私がよく目にする光景があるのだ。それは親が5〜6歳の娘をキレている場面。私の主観なのか。叱っているのではない。キレているのだ。

我々も子供の頃はよく叱られた。悪い事をすれば当たり前だ。「コラ!」「アカンやろ!」大きな声で数え切れないほど怒られたものだが、キレられた覚えは一回もない。「叱る」と「キレる」。じゃあその境界線は一体どこにあるのだ。私が日曜日に目にしているのは叱っているのではなくキレているように見える。どうだろう、親だって人間だ。たまには感情的になることもあるんだろうけど、それを考慮しても少し行き過ぎではないか。

どの程度かを文章で伝えるには難しいが、例えばその声の大きさで私に吠えてきたら多分殴り掛かるだろうなレベルの口汚さと大きさだ。大きな声で怒鳴られている時の女の子の顔は無表情。あんな小さな子があんな顔をするのか。見ていられない。恐ろしいのは子供が慣れていくなら親も慣れていくんだろうなと容易に予想出来る。

子供に手を挙げてこそいないがあれを見せられると正直私は辛い。躾のレベルなど各家庭によって違うだろうしボーダーラインがはっきりしない。子供を叱る当たり前は一体どこなんだろうか。最近その部分に関して両極端になってるなと思うことが多い。子供に対して怒らないかキレるかのどちらか。これも親自身が子供の頃にあまり叱られてないから叱り方が分からないのではなかろうか。普段喧嘩しない奴がキレると恐い。それは加減を知らないからである。

その子供の幸せなんて他人の私には計り知れない。どんなキレ方をされてもその親と一緒にいる事がその子にとっての幸せなんだと思う。その親に向かっておいやめろと言ったところでその子供は多分私に牙を剥くだろう。親をいじめるなと。そして私に見えているもの全て、それは私の主観であるというのも間違いない。勘違いしてはいけない。

私に出来ることは何だろうかと考えると「他人の目」だけだ。注意深く見るという他人の目である。何も無い、私の思い過ごしならそれで良い。あとはその子が1人ポツンと外にいれば、ウチのチビに「おい、一緒に遊ぼって言ってこい」とボールを渡してキャッキャ言って遊んでるのを見守るだけである。