ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ。口癖は「えー、そんなの別にどっちでも良いんじゃないの?」老害発言の説明文多し。

夜景の中に見る絶望と死とその先にある光

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何を隠そう私はクソむさくるしいオッサンであるのに夜景が好きなのである。しかしながらどこかに独り見に行くとかそこで感傷に浸るとかそういうのは全くない。出張中たまにパッと目に入るとか、夜中にテレビでフィラーと呼ばれる固定カメラで高速道路を延々垂れ流しているを見るとずっと見入ってしまう。誤解されては困るが綺麗だからなどというロマンチックハゲみたいな事を言う気は毛頭ないし毛根もない。何が好きなのと言うと、ビルに明かりが点いていたり車がライトを照らして走ったりしているのを見ると「誰かがいるんだな」と思うだけの話である。その部屋の明かりは生活している明かりなのか仕事をしている明かりなのかは分からないし、走っている車も仕事なのか旅行なのか逃げているのか追いかけているのかは知らない。でもそこに見えている光や明かりは誰かがそこに居て何かをしている。別に想像や妄想をするわけでもなく、ただただ、そこには誰かが居て何かをしているんだなぁと思いながら何時間も見入ってしまうのだ。ブラック企業で働いてる人も大きなプロジェクトを任されてキラキラしてる人も結婚してる人も恋人同士の人も不倫してる人も酒を飲んでる人も喧嘩してる人も今まさに殺されかけてる人もそこにいるのだなと。今私の視界に入る光の中には舞い上がるほど幸せな人達と絶望の中泣き叫んでいる人達が1:1で存在し、その視点を個に向ければ、幸福の数値と不幸の数値が同じになるとその数値はプラスとマイナスでゼロとなり死を迎える。では私が今まで味わった屈辱や痛みがどれぐらいの数値で、果たしてその針の振り幅はマイナスに振っているのか、はたまた気付かぬうちにプラス側にその針は振っているのか、ではこれからどのような不幸が訪れ私は死に至るのか。などというワケの分からない事を夜中の夜景を見ながらいつも考えてしまう。そう考えると例えば今絶望したとしていたとしても取り分の幸せが残っている。マイナス5からプラス6の幸福を勝ち取ればプラス1。絶望であればそこからはもう上がるだけ、幸福の絶頂でも大きなマイナスの波に飲まれないように注意をする。自分は今どこにいるのかな?などと考えながら、気が付けばいつも何時間もボーっと夜景を眺め、絶望が私を支配していればXVIDEOSを鑑賞して針をプラス側に振り切って眠りにつくのである。私は元気です。