ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ

自分にとって絶対とは何か


『考え方が変わった』と揶揄されるブログの特徴 - おのにち

 

さて私はどうだろうか。議論であったり文章でも自分の中に「絶対」は確かにあるし、こと仕事においては「絶対」を必ず前に置いて話をする。そして強い言葉しか発さない。どっちだろうなーなんて言ってる時は興味のない事である場合が多い。私が考える「絶対」とは「自信」や「経験」から来る「傲慢」ではなく(そういう時もあるけど)、一番は「責任」であり「誠意」であると。それが正解なのか間違いなのかは相手が判断すれば良いし、相手は私の強い言葉を期待して私の目の前にいるのではないか、といつも思っている。それが相手の期待する「私」ではないか。確かに考え方など時間が経てば変わるし変えないといけない。この記事ですら私の過去記事を漁れば色んなブーメランが頭に刺さってると思われる。もちろん他人の話は聞くしちゃんと消化する柔軟性は持っているつもりだが、まず私の中に「絶対」は存在し、その絶対を軸に話が組み立てられる。未熟な私の「絶対」など、通用しない場合が多いわけだが、それが私の「責任」であり「覚悟」であり「個性」であると考えている。それらを恐れずに色んな人の意見を聞き、読み、そしてある時突然、私の「絶対」を溶かす言葉が現れるのだ。そこで私は恥をかき、反省し、私の「絶対」はアップデートされる。その人の発する言葉が本気なのかどうなのか、それが例えグレーであっても聞いてる人がその人を信用していれば言わんとすることは理解する。小野さんのこういう記事が私は大好きなので少し考えてしまった。件のブロガー(作家?)の話は私は簡単に考えてて、考え方云々よりも「他人sage自分age」がただ単に鼻につくだけだと私は思う。みんなブーメランが頭に刺さってる。それで良いと思うし、魅力とは逆にそうやって各人の「絶対」がアップデートされていく度、積み上がっていくのだと私は思う。

 

(所要時間36分)